2008年7月6日日曜日

極地研見学

2008年7月2日。極地研へ見学に行ってきました。総括班の外部委員になってくださっている本山先生、本プロジェクトに参加してくれるKotaroさんがいらして、案内してくれました。
 極地研は板橋にあります。
拙宅から歩いて25分でした。来春には移転とのことで、周囲の町の雰囲気と同様、どこか建物にも昭和の匂いがします。
 私のいるAA研とはまったく違う雰囲気。それぞれのフロアが専門別になっているそうで、廊下の壁にはふつうはあまりみない極地の地図が幾種類も貼ってありました。また研究室のドアも開放されていて(部屋によってはのれんもかかってますが)、研究者同士が連絡しあう空気の流れがあるように感じます。AA研が閉じすぎているのか・・・・
 噂の低温室。防寒具を借りてブーツもはいて、マイナス20度の世界。南極から持ち帰った氷などなどが保管されています。たしかに言われてみれば、南極でとってきた氷のなかにはウン百年前の空気が入っているんですね。氷のなかに「生きる」地球の過去を研究する分野なんだと思いました。まさに、大型冷凍庫です。私にはまったく良く分かりませんが、とにかく機器が多い。研究するにも、まずはこうした機器の使用に慣れねばならないのですね。それに比べ、人類学者は極端な話、身ひとつでいけばいいだけです。十数分入っていたでしょうか、耳と鼻がすっかり赤くなりました。まさに極地のフィールド擬似体験。
小島先生にお願いして、極地で収集してきた隕石をみせていただきました。どろどろ鉄分がもえている形態を残した重い隕石、そして貴重な月や火星の隕石。氷の上に黒いモノがポコッと落ちて?いるものだそうです。説明してくださる単位がウン十億年前、ばかりで思わずぽかんとしてしまいます。人が文字に記録を残す以前の話。
 今春に南極調査から帰ってこられたKotaroさんに話を聞きました。南極調査は、いちど行くと長期で17ヶ月だそうです。思ったより長い。「人類学でもそのくらいでしょ」といわれましたが、たしかに。。
 初代は有名な「宗谷」、その後は「しらせ」の名前が続いているそう。模型が玄関入り口にありました。大型調査隊ということでしょう、船のなかで、また昭和基地で、あるいは基地から内陸調査にいく往復の1ヶ月から2ヶ月の共同生活。人類学では異文化との自分のギャップに苦しみ、なんとか自己コントロールをする努力をするわけですが、南極調査の場合は共同研究/生活する研究者コミュニティでの暮らしに適応する術がいりそうです。まあ、これまた広い意味でのフィールドワーク。
 もっともっと詳しく話を聞きたいですが、実際に訪問させていただいて、理系でフィールドワークをする研究者のありかたが、ほんの少し分かりました。必要な器具もおそらく予算も、まったく違う。対象が人間でない。ただ、海外にでてデータをとることで研究がはじまるということ、そのときに地域的なつながりで何かコラボできないか。どうかなあ。まずは、フィールドワークの方法を互いに披露していくことから歩み寄り、理解して何かつくれるのでは・・・と思いました。そして、単純に別分野の研究者が何に一生懸命になっているのか知ることは楽しい。まさにいい刺激です。ふつうの人からいえば、われわれフィールドワーカーはたんなる「物好き」かもしれないけれど、ここに「われわれ」といえる共通点が、やはりあることは確信しました。
 今後の理系フィールドワーカーとの交流が楽しみです。そして、AA研はやはり、もっと一般にも他分野の研究者にも、なにをやっているのか「見える」ようにしなくては全然ダメだなあと思いました。


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